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翻訳:レント(四旬節)のエクササイズ

文:ポール・スコルペン 

訳:田中千恵 

 

テオーシス・インスティチュートから許可を得て、翻訳文を掲載しています。

 

原文はこちらでご覧頂けます。

 

 

 "あなたがたは『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい。それ以上のことは悪魔から来るのである"  (マタイの福音書 5章37節) 

 

 

エゴイズムや影は、機転が利くものです。そうしたエゴイズムは、目覚めている自己を使って、できる限り表に現れようとします(そうすることで、栄養を得ているのです)。言葉は、自己の表現に欠かせない道具であり、その反射によって自己はそれ自身を見ることが可能になります。そして、対話(内面または他者との対話)を通して、自分自身を再構成しています。

 

影はある特定の言葉を使って、私たち自身のあまり気高くない性質を表現しようと試みています。恐らく、パーソナリティーを影の状態にいさせ続けるのに、『でも・・・』以上に良い言葉はないでしょう。例えば、『彼のことは好きだけど・・・』または、『君と一緒に行きたかったけど、行けなかったんだ・・・』といったように、私たち自身一体どれくらい『でも』と言っていることでしょう。こうした発言の本当の意図は、最初に偽りを述べて、それから『でも』を使って、私たちが本当に言いたいことを宣言しています。これは狡猾な方法であり、エゴイズムは一見丁重に振る舞っているだけなのです!

 

『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』のどちらかを言いなさいというイエスの戒めに、私は長い間困惑してきました。目にするものの多くはグレーで、黒と白と言えるのはわずかだったからです。しかし、イエスが(繰り返し何度も)私たちに注意したのは、内的なあいまいさと内側の分裂でした。彼は、私たちが内側に明晰さを見いだし、最初に私たち自身が本当に感じていることと信じていること(内的な正直さ)を知り、それをはっきりと表現することを望んでいたのです。自己に対する誠実さが増せば増すほど、他者との関係でのつながりの深さも同じように増していきます。

   

レントの40日間、次の方法で『でも・・・』という言葉を使わないようにしてみましょう。あなた自身が『でも』(または、『だけど」や『しかし』といった同義語)を使いそうになる度に、あなたの本当の動機を調べて下さい:あなたが本当に言おうとしていることは何か? それから、あなたが言いたいことを直接的に言うように選択してみて下さい(例えば:全然食事を楽しめなかった。味付けがあまりにもしょっぱすぎたから!)。または、エゴイズムから『でも』を言う機会を完全に奪って、何か建設的なことを言えるようになるまで、沈黙を守ってみるのも良いでしょう。私たちの中から、『でも』を取り除くのに、40日間はそれほど長い期間ではないでしょう!

 

 

Copyright Paul Skorpen, 2001-2012

Translated by Chie Tanaka

 

(*注)四旬節:キリストの荒野の試練を記念して断食や贖罪を行う復活祭の前日までの40日間のこと。