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翻訳:意識的に生きる 〜熟考のために間を取る〜

文:ポール・スコルペン 

訳:田中千恵 

 

テオーシス・インスティチュートから許可を得て、翻訳文を掲載しています。

 

原文はこちらでご覧頂けます。

 

 

 

悟りを得る前に、薪を割り、水を汲む。

そして、悟りを得た後も、薪を割り、水を汲む。

 

Wu Li(禅の導師)

 

 

潜在意識は、エゴイズムの隠れ場になっていて、決まりきったことを好みます。そして、パターン化された行動を通じて、古い思考や行動体系(エレメンタル)が維持され、再生されているのです。つまり、内なる自己は習慣によって寝かしつけられて、現状がいつまでも続いていくことになります。

 

私たちが潜在意識の中に炎と光をもたらす時、エゴイスティックなエレメンタルはさらけ出され、それらを変容させることが可能になります。潜在意識が自己意識のコントロール下に置かれるようになるにつれ、私たちは段々と機械的にではなく、より拡大された意識と状態を伴って、薪を割り、水を汲むようになるのです。

 

悟りを得る前に、薪を割り、水を汲む(その間中、過去や未来のことを考えながら)。

悟りを得た後も、薪を割り、水を汲む(完全に、現在の瞬間という神聖な状態にありながら)。

 

潜在意識のエレメンタルを意識的な認識へと変容させることで、パーソナリティーの中にあるエレメンタルの質量は変化し、目覚めつつある意識の性質にも変化を及ぼします。私たちが潜在意識的でなくなればなくなるほど、自分自身が苦しむことも苦しみを引き起こすことも少なくなり、人生をもっと楽しむことができるようになります。潜在意識を制御するのは、骨の折れる大変な取り組みですが、それこそが聖なる仕事であり、霊的な成長のまさに核心でもあるのです。日々の内省は(ダスカロスやその他数多くの教師たちが説いたように)、パーソナリティーを浄めるための最も確実な近道です。そして、内省に加えて、マリアが示したような信仰と献身の意識をマルタの行動の中にもたらすのを助けてくれる次のような方法もあります。(*注)

 

 

《意識的に生きるためのテクニック:熟考のための間を取る》

 

新しい週の始まりの前夜(日曜日の夜)に、あなたの日課になっている典型的な行動の中から、”熟考のための間”を取り始める合図や引き金になるものを選びます。その合図は、あなたが食事の準備をしている時や階段を上り下りしている時、赤信号で停車したり、冷蔵庫のドアを開ける時などでも良いでしょう。あなたが自分自身で選択した行動を取り始めた時に、潜在意識に向かって、一旦間を置いて、あなたの存在の状態を吟味するように言い渡して下さい。これから始まる週の日々の中で、それぞれの瞬間に合図が鳴る時、間を取り、次のようにあなた自身に尋ねて下さい。

 

今この瞬間、私はどの程度意識的になっているだろうか?

過去の出来事を考えているだろうか?

未来の出来事に思いをはせているだろうか?

私は穏やかだろうか、それとも不安を感じているだろうか?

健全な考えを抱いているだろうか?

私の行動は潜在意識から引き起こされているだろうか?

この数時間、私は何に忙しくしていたのだろうか?

今日は、どのくらい意識的でいただろうか?

 

キリストは次のように説きました。

「だから、あすのことを思い煩ってはならない。あすのことは、あす思い煩えばよい。その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイ 6章34節)

 

あなたの関心事があまりにも世俗的なことに思えたとしても、自分自身を叱らないで下さい。この方法は、潜在意識に気づきの光を穏やかに当てていくためのものであり、それ自体が大変革を起こすのに十分な力を持っています。潜在意識と戦ってしまうと、潜在意識をますます強めることになってしまいますから!

 

もし、役に立つようだったら、小さなノートを携帯して、あなたの経験を記録してみて下さい。そして、毎晩眠りにつく前にノートを読み、一日の出来事や経験を批判することなく思い出します。そして、あなたが毎日少しずつ目覚めて生きることができるように、神聖な力に夜の間助けてくれるよう祈ります。この方法を1週間実践し、それから数週間をおいて再度行ってみて下さい。(数週間おくのは、あなたの潜在意識がゆっくりと確実に変容するために時間が必要だからです)。

 

Copyright Paul Skorpen, 2001-2012

Translated by Chie Tanaka

 

 

(*注)新約聖書に出てくるマルタとマリアの姉妹のこと。ここでは、マルタが物質的で日常の活動を表す意識として、マリアが信仰と献身を表す神聖な意識の象徴として述べられている。実際には、両者の象徴する意識状態はすべての人の中に存在しており、その両者のバランスを取ることが大切だということ。