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ヨハネの福音書とホワイトイーグル

 今年も冬至がやってきましたね。

私が、この季節に時折読み返す本の一つにホワイトイーグルによる「The Living Word of St John」があります。本棚でも紹介していますが、ホワイトイーグルがヨハネの福音書について、霊的な視点から丁寧に解説を与えてくれている本です。聖書と合わせて繰り返し読むことで、霊的な理解を深めたり、自分が歩いている道を再確認したり、この本にはとても励まされ、助けられてきました。もし同じように関心がある方がいればと思い、今回は本の一部を翻訳して抜粋したものをご紹介したいと思います。

 

 明日から外の世界には光が増していきます。内側にも少しずつ光が増して、明るく輝いていくことを願いながら。

 

『The Living Word of St John   White Eagle's Interpretation of the Gospel』

 White Eagle 著 (White Eagle Publishing Trust 刊)

第1章《Soul and Spirit》より翻訳抜粋しました。

 

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 私たちがもたらすメッセージが明晰であるように祈っています。私たちは、何よりも明晰でシンプルであることを望んでいるからです。また、ホワイトイーグルの教えの土台になっているものをできるだけ簡単に述べてみましょう。ときにそれらの教えは逆説や矛盾をはらんでいるようにみえるでしょう。霊的な道には、多くの逆説がつきものだからです。しかし、忍耐強くあって下さい。急いで結論に飛びつかないで下さい。あなたはいずれ、あらゆる逆説に対して適切な説明を見いだすことでしょう。聖書に含まれるいにしえの真理を思い起こして下さい。聖書が理解を伴って読まれるとき、霊の光が聖書の各ページに投げかけられるとき、あなたはそこに数多くの真理の宝石を見つけ出すことでしょう。実際にそれらの真理は、今の人生、そしてこれから先の人生において、あなたが必要とするすべてを含んでいるのです。

 

 私たちは、創世記の書の中で、神が6日間で海と大地、また地上と海と地上より高い世界に住まうすべての生き物を創造され、そして最後に、神はご自身の姿に似せて人間を創造し、そこに生命の息を吹き込まれた(創世記2:7)と伝えられています。このようにして、人間は生きる魂となったのです。

 

 魂の性質と役割、また人間の霊の性質と役割について、未だに混乱があるようです。いったん、霊が地上の世界に降下し、肉体の中に住むようになると、いわゆる魂と呼ばれるものを形成し始めます。魂は、私たちの存在の一部であり、柔らかな内なる自己が転生を通じて得る経験によって形作られていきます。さらに言えば、魂は人間の生命の女性的な側面、または母性原理とも言えるでしょう。世界の魂は、世界中の人々の感覚によって、また国の魂はその国に生きる人々の感覚によって作られるものです。

 

 秘儀的な教えの中では、魂は常に生命の母性または女性的な側面の象徴として言及されています。これが第二原理であり、第一原理は神聖な意志、父性または男性的な側面です。創世記の物語の中では、女性がどのようにして、最初の男性であるアダムの心臓付近から取り出されたかについて語られています。静かに横たわるアダムの肋骨または心臓から、神は第二原理である女性を生み出しました。

 

 私たちは、この魂と女性的側面の重要性を認識しなくてはなりません。魂なくして、男性の中にある第一原理は進化することはできないのです。アダムは、彼自身が完全になるために、第二の側面が必要でした。彼が十分に生きるためには、魂を吹き込まれる必要があったのです。魂は、自己に感覚を与えてくれます。これはすべての存在の直感的な側面です。(水瓶座の時代には、生命の母性または女性的な側面が一層顕著になっていくことでしょう。つまり、地球上の人々の間で、直感力がますます発達し、魂の力が増していくよう、大いなる促しがもたらされるということです。)

 

 父性または意志として現されている第一原理は、母性原理または直感によって、バランスを取られる必要があります。これらの二つの原理が融合し、完全なバランスが達成されたとき、この完璧な一体化の結果として、キリストの子供が生まれるのです。

 

 どうかこの意味を取り違えないで下さい。すべての人間には、男性と女性の両方の性質が含まれています。ある転生の中では、男性的な性質が強く現れ、また他の転生では、女性的な性質が優勢になるかもしれません。個々の魂は、多くの試練、困難、そしてイニシエーションを通過していきます。それらのプロセスによって、意志と愛という二つの原理が一体化し、完璧な調和の状態になったとき、魂はキリストのようになるのです。これこそが、すべての人間の内にある、霊と魂の神秘的な結婚によってもたらされるものであり、無原罪の宿りが真に意味するものです。

 

 私たちは、これが難しい仕事であるとは理解した上で、父、母、子(息子、娘)の神聖なる三位一体の性質について伝えてみましょう。すべての人の内にある霊と魂の結合の必要性と、無原罪の宿りの教えを支える真理について、これから示すつもりです。

 神が私たちの内に、生きる魂を創造されたと聞かされてきました。しかし、この魂は必ずしも不滅で、永遠に存在する部分ではありません。魂の体を、肉体の形態の精妙な複製とでも表現しましょうか。

 

 この魂の体には、二つの側面があります。第一に、ある部分はやがては死ぬ運命にある、一時的な生命であり、地球と天上界を結ぶ架け橋です。そして、これは不滅の存在ではなく、肉体の死とともに徐々に崩壊していくものです。第二に、魂の体のある部分は、肉体の死を迎えた後にも、霊が身につける衣服として、生き続けます。しかし、あることが起きる時、それは神の息によって魂の生命が目覚めた時、そのとき魂は真に生き返り、永遠に生き続けることになるのです。「そして、主である神は大地のちりから人間を作られ、その鼻孔に生命の息を吹き込まれました。こうして、人間は生きる魂となったのです」(創世記2:7)。これは、未だ多くの人々には理解されていない霊的な真理です。

 

 中には、ある状況で、魂や感情・思考体を通じて、他の世界から印象や感覚を受け取る人もいます。これらの人々は、それがすべての本質であり、霊的な探求の最終段階だと思いがちです。しかし、そうではありません。彼らが見ているものは、肉体を一歩超えた世界にすぎないのです。それは、単に彼らとは別の何か、例えば、イスやテーブル、本といったものとコンタクトを取っているようなものです。しかし、彼らは必ずしも霊とコンタクトを取っているわけではありません。魂の世界は、魂の感覚にとって、自然で実態のあるもののように感じます。それは、物質世界が、肉体の感覚にとってそうであるのと同じことです。唯一の違いは、魂の世界が、濃密な物質とは別の存在であるということだけです。魂は、そうした世界に何世紀にも渡って、生き続けることができます。しかし、魂が永遠の生命に入っていくためには、まだ必要なことがあるのです。それは、神の息によって生き返り、魂がキリスト化することです。そして、この生き返りこそが、聖ヨハネの福音書が述べ伝えているものです。

 

 イエスは、彼の多くの教えの中で、この真理を強調しています。もし、あなたが福音書を学ぶなら、そのことについて繰り返し言及されていることに気がつくでしょう。例えば、「わたしは道であり、真理であり、命である・・・わたしはこの世の光である・・・わたしを通ってでなければ、だれも父のもとに行くことはできない」(ヨハネ14:6、8:12)。これは、人間としてのイエスではなく、彼の内にあるキリストが語ったものです。マスターであったイエスは、神聖で永遠の真理であるキリストと、その道を顕現するための通路だったのです。あなたが、イエスの言葉を調べれば調べるほど、彼の内にあるキリストの真理と永遠の生命が明らかになることでしょう。

 

 キリストは、あなたの内にも同様に存在する永遠の生命です。これこそが、瞑想中に、アストラル界やサイキカル界でふらふらと時間を過ごしてはならない理由です。(もちろん、あなたはそれらの世界で非常の多くの興味深いものに出会うことでしょう)。しかし、あなたのハートの内にあるキリストの光を通して、あなた自身がキリストを熱望しなくてはなりません。それこそが、世の光であり、永遠に生き続ける愛の炎なのです。

 

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(2017年12月21日)